美川憲一の2019年のコンサートは、経歴55周年の大転換期!!
美川憲一氏のコンサートは、2019年も盛大に開催します!!
今回は、かの孤高のキャラで名を馳せた歌手・美川憲一氏の2019年のコンサートを間近に控えて、その美川憲一氏の経歴も振り返りつつ、その魅力を解いていこうと思います。
ここでひとまずは、美川憲一氏の年内のコンサート・スケジュールについて、お話ししていくこととします(※当サイトでは、スケジュールの紹介のみとなり、チケットの販売は一切行っていないことを、先にお断りしておきます)。
最も直近のコンサートとしては、「美川憲一/コロッケ」と銘打って2019年6月27日(木)に新潟県民会館の大ホール (新潟県)にて開催される予定であります。
それ以降としては、NHKホールや名古屋にて開催される「パリ祭」に、また同じく「美川憲一/コロッケ」なる名義のコンサートも、名古屋に埼玉県、群馬県で開催される予定です。
そしてこの度の美川憲一氏の2019年コンサート極めつけの1つとしては、「美川憲一 歌手生活55周年記念コンサート~歌いつづけて~」と銘打たれ、2019年10月9日(水)に大阪は新歌舞伎座にて開催されることになっております。
かくして美川憲一氏の2019年のコンサート予定だけを見つめてみても、例えばコロッケ氏なる、かの物マネ界の重鎮的存在としての人物が登場してくれたりしていて、さぞ盛り上がりが期待されることでしょう。
従って、そのコンサートの中身がいかに極めて濃いものとなってくれるだろうか、というのと併せてまた、今年でキャリア55周年を迎えた美川憲一氏の洗練された、質の高い仕事ぶりもお目にかかれることでしょう。
美川憲一氏のコンサートに控え、まずは経歴を振り返ってみましょう
さて今回もまた、過去に投稿してきたのと同じ要領にて、美川憲一氏のこの度のコンサートに向けて、美川憲一氏自身の経歴を振り返るとともに、美川憲一氏が歴史上に残し続けてきた、一世一代の名作達も後ほど紹介していこうと思います。
始めに美川憲一氏が歩み続けてきた、紆余曲折のその険しき半生を振り返っていくこととします。
もともと美川憲一氏が1965年にデビューするまでの生い立ちなるものは、極めて複雑なものであったと言われております。
美川憲一氏が幼少期に実の母親に訳アリでその実の母親の姉夫婦に引き取られたといわれております。
そのためにたちまち美川憲一氏自身がこの二人の母親たちを養おうとする志を基に、高校を一年で中退して芸能界入りのため芸能学校に通い出しました。
こののち1965年に「だけどだけどだけど」で歌手デビューした美川憲一氏ですが、当時の美川憲一氏自身の売りのキャラクターとしては、いわゆる美少年系でした。
ここで「美川憲一」の芸名そのものの由来についてお話ししようかと思います。
実はこのきっかけが、よく1966年に発表され大ブレイクする「柳ヶ瀬ブルース」にちなんでいると考えられるのですが、その曲の作詞・作曲を担当した宇佐英雄が柳ヶ瀬で流しをしていたことで、岐阜を連想させるべく木曽川・揖斐川・長良川の3つの美しい川に由来したと言われております。
従って、この「柳瀬ブルース」以来の美川憲一氏の活動としては、例えば1968年の「釧路の夜」(45万枚)に1970年の「おんなの朝」(30万枚)と順調にヒット曲達を発表し続け、そして1972年には美川憲一氏の一大作として最も名を馳せた「さそり座の女」が発表されることになったのです。
併せて、現在のような盛大なコンサートはなくとも、1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で紅白に出演していた美川憲一氏ですが、かの「さそり座の女」以降は目立ったヒット曲がなく、低迷期が続いていたようです。
そして悲しいかな、以来美川憲一氏は1977年に1984年と、二度も大麻事件で逮捕され、それ以来は更なる低迷期が続いても、再ブレイクするには至りませんでした。
美川憲一氏のコンサートに参加する、かの人物が導いた再ブレイク
美川憲一氏の情報については、既にご存知の方も少なくないとは思いますが、先ほど書いた通り、美川憲一氏の物まねでも一世を風靡したことのあるかの物まね界の先駆者であるコロッケ氏は切っても切り離せないものであります。
まさにコロッケ氏こそがこの度のコンサートに共演してくれるほど、美川憲一氏にとっては切り離せないどころか、生涯の恩人といっても言い過ぎではないほどの不可欠な存在でもあるのです。
実はかつて1980年代に低迷を辿っていた美川憲一氏に救いの手を差し伸べたというに相応しい、コロッケ氏がかの「さそり座の女」をブレイクさせることにより、再び美川憲一氏にとっての再ブレイクの活路が開けてきたのです。
時は1980年代の末期において、当時より既に物まねタレントとして認知度を獲得していたコロッケ氏に対し、美川憲一氏側より自身のモノマネの仕事を依頼したとの言い伝えであります。
まずはその美川氏とコロッケ氏との信頼関係の皮切りとなったのが、1989年正月の「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!」における共演だったのです。
それ以降の美川憲一氏としてはまさに、「さそり座の女」の一曲に代表されるべく、一種の「おねえキャラ」もまた大きな功を奏して、立て続けに新たなるタレントとしての大御所の地位にまで上り詰めたのであります。
またNHK紅白歌合戦には、復帰出演の1991年(コロッケ氏と「さそり座の女」をデュエット)から2009年まで19年連続出場(通算では26回出場)という実績も果たしました。
美川憲一氏にとっては、まさにこのコロッケ氏こそが生涯にとって絶対不可欠な恩師であると悟っており、すなわちその揺ぎ無き証拠こそが、今日に至るまでのジョイントコンサートの開催がまず1つであります。
今なおこうして美川憲一氏がすでに70歳を超え、そしてかつては長き芸能生活において窮地に追い込まれていたにも関わらず、こうして再ブレイク後もまださらに30年近くにも及んでやって来て、今年で経歴55周年を記念するまでに至りました。
それも決して如何なる苦境の中でも諦めぬ、不屈の志を貫いたからという一言に他なりません。
つきましては、今回紹介した美川憲一氏の一世一代の代表作「さそり座の女」を始めとした歴史に残る名曲達を、以下より紹介させて頂き、美川憲一氏のコンサートに行かれる方もそうでない方も、楽しんでいただければありがたいと思っております。👇
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