男闘呼組の「daybreak」もまた、秋の訪れには絶対不可欠!!
男闘呼組の「daybreak」で、我が国の秋を盛り立てよう!!
そういえばまたまた、我が国秋を盛りたててくれる超大作として、男闘呼組の「daybreak」(1988年発表)という曲が存在したのをふと思い出しました。
本ブログにて秋ソングを話題として掲載していくにつれて、ますますこの男闘呼組の「daybreak」もまた、他の邦楽の歌謡曲達とはどこかで決定的な差別化を図るべく、一種の「孤高なる秋ソング」みたいな存在になってくれそうな気がしてきました。
まずこの男闘呼組というグループについては、ジャニーズのタレント達の中でも名の知れた存在としてご存知の方も少なくはないと思います。
ちなみに私自身としては、この男闘呼組の存在自体と巡り合え、そして同時に「daybreak」という曲自体を知ったその当時、13歳でした。
これはあくまで私だけの感覚ではありませんが、男闘呼組の資質をごくごく簡潔に言葉にするならまさに「硬派」以外の何ものでもない、という風なところです。
よくありがちなアイドル、という印象よりもむしろ高潔、生粋なる漢義、というものに値すると思われます。
それほどまでの存在である男闘呼組の名曲としてはこの「daybreak」以外にも、実はそのまんま「秋」というタイトルの曲も代表的ではあります。
したがって、なぜ男闘呼組による秋ソングとして今回「daybreak」選び抜いたのか。
その動機と併せて、この「daybreak」のどこに我が国を代表する秋ソングとして孤高ともいえる魅力を感じられるのか。
こういった課題を解いていこうと思います。
男闘呼組の「daybreak」を私自身が選び抜いた動機とは?
実はこの「daybreak」と私自身との出会いについては、なぜか是非とも忘れられない名曲として語らねば、と思うに至った不思議な動機というものが見いだせるのです。
まずはあの当時を振り返ってみると、なぜか今この時期と共通すべく思い当たるような節がありました。
というのも、当時(1988年)はまさに昭和から平成への転換期であり、そして今もまさに平成から令和への時代の変わり目である、といったところです。
ただ1つだけ違う点としては、元号改定の前か後か、と言うだけで、今この時期に当てはめるなら、男闘呼組の「daybreak」で令和初の秋の訪れを盛大に迎えたい、という風なところです!!
男闘呼組というグループの、同じジャニーズのタレント達とさえ決定的な差別化を図るべくそのカリスマ性と併せて、「daybreak」という曲名そのものが如何なる意味を示すのか。
ズバリ、燃え尽くすような秋の夜明け、と言うべきものです!!
この曲の作者側の意図としても、過ぎ去った夏に後ろめたさを感じることなく、天高く馬肥える秋を完全燃焼し尽くそう、そんなところが読み取れます。
少なくともこの「daybreak」には、他の秋ソングによくあり得る一抹の哀愁、みたいなものが少しも感じられず、むしろそんな寂しさを吹き飛ばしてくれるような、演出意図すら感じられます。
という事で、今回紹介した男闘呼組の「daybreak」もまた、この秋を今までにはない型で実りのあるものとするに相応しい一曲となってくれるのでは、と私は考えております。
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