菅原文太兄いが「トラック野郎」で20代へも発信すべくメッセージ
菅原文太兄いは「トラック野郎」終了後実に30年以上もの時を経てもなおあの桃次郎と何ら変わらぬ実直な姿勢にて、市民の為に親身なメッセージを発信し続けて来ました。
私も当然の如く菅原文太兄いと言えば「トラック野郎」における桃次郎の生き様が第一にピンと来るものではあります。
実は我が半生を振り返ってみると思いのほか菅原文太兄いによる「トラック野郎」での生き様と照らし合わせるべく場面も次々と甦ってきた、というのが偽りなきところでもあります。
かくしてあれこれと思いを巡らせているそのうちにも、「トラック野郎」を離れた菅原文太兄いの実像とはいかなるものであり、ここから彼は我らに何を教えてくれるのか。
という事で今回菅原文太兄いが主に30以下の若者達に対して何を発信したかったのか。
みたいな問いを発見するに至りました。
ここでまた改めて「トラック野郎」の名場面を復習の意味を込めて紹介の上で、私が以前YouTubeで視聴したことのあるヒモニート系の若者による生き様と照らし合わせつつ、今回のメインテーマを解いていくこととします。
菅原文太兄いが「トラック野郎」で絶望する若者達を救った名場面
よって今より菅原文太兄いが「トラック野郎」シリーズは第6弾「男一匹桃次郎」(1977年12月公開)にて、マドンナを恋人の元まで送り届けた爆走航海の場面を紹介していきます。
時は1977年正月舞台は唐津にて桃次郎はマドンナの小早川雅子の下へプロポーズに出向いたのですが雅子は絶望の表情で号泣しておりました。
事の発端は雅子と婚約していた村瀬という大学での同級生が借金返済に行き詰ったため16時に鹿児島空港よりブラジルへ旅立つとのこと。
村瀬の借金の原因としては実家の会社経営が傾いたことにより自らにも降りかかってきたところにありました。
事情を知った菅原文太兄い演じる桃次郎は悲しみに暮れる雅子を一番星号に乗せてアクセルを踏み込みました。
持ち時間はわずか5時間、今でこそ唐津~鹿児島までこの時間内で走破することは余裕ではありますが当時は九州自動車道がごく一部しか開通しておらず、ほぼ不可能でした。
もとより九州地方とは広大な面積でありながら起伏が半端なく激しく、高速が普及した今日でさえトラック野郎達にとっても走りにくいという声を耳にしてきました。
それでもさすが桃次郎は天下無敵のトラック野郎だけあり国道3号をまるで行き止まりさえも突き進むかのように鹿児島空港まで一直線に韋駄天走り。
この道中では橋げたが落下した川を向こう岸までジャンプで飛び越えた(!?)場面もあり、トラック野郎仲間達の支援もあって出発の半時間前に到着雅子は村瀬と共にブラジルまで旅立ったのでした。
ここでの決めゼリフは「真実一路」まさに菅原文太兄いが生前示してくれた現代人に求められるまっすぐで愚直な生き様そのものでした!!
また当時の菅原文太兄いの年齢は40代前半という現役世代の中心として最も充実した時期でした。
同時に村瀬に雅子としてもちょうどハタチ過ぎでして、即ちここでは菅原文太兄いは20代の若者達にとっても信頼のおける手本を示してくれたのでした。
菅原文太兄いの「トラック野郎」を振り返りこのヒモニートを回想
前述の「トラック野郎」における村瀬という若者に焦点を置いてみるとまさに初めの方でお話ししたF君というヒモニート系の若者とどこか重複してしまったのです。
「トラック野郎」の歴代出演者を振り返ってみても村瀬に限らず借金に代表される生活苦で姿をくらましてしまったような人物が節々に登場してきました。
このF君はもともと製造系派遣社員として工場勤務していたものの途中で仕事に自信が持てなくなったためニートの道を選択。
働きたくなくなった理由としては対人恐怖症と言ってはいたものの根本的にはF君自身一切のストレスや苦痛を断ち切りゴロゴロして生きることが主たる目的でした。
ある動画にて彼は布団に寝そべりながら「俺には働くのは無理、一生こうしていたいだけだ」とつぶやいていたのですが、意外なことにそんなF君を擁護するコメントが目立ったのです。
これは今削除され確認出来ませんが確か「彼には母性本能をくすぐられる、養ってやりたい」などとむしろ彼に変わってほしいと激励するコメントはないに等しいものでした。
しかもゴロゴロして生きたい性質も高じてかある時彼はFX等で200万円もの借金を背負ってしまうもあのままニート生活を継続。
F君自身によるYouTubeでの広告収入だけでは返済に限りがあるため一時は引っ越ししてアルバイトをと思い立つも結局は「やっぱり俺には働くのが向いてない」と悟り、借金から逃れるために何と家出を決行してしまったのです!!
この背景としてはツイッターで彼のフォロワーさんを名乗る人物よりDMにて住まいを提供してくれるとの連絡が入った1件で、それも電話番号を変えて家族とは通信拒否までしていたのです。
行きついた先は何と山形県(!?)F君は飼い主の家族に内緒で保護されることとなり、そこでの暮らしぶりも赤裸々に投稿されました。
飼い主に衣服に食料まで提供されたF君は「これで安心してニート生活が送れる」と見ず知らずの相手の家でペットとして寄生することになったのです。
菅原文太兄いの「トラック野郎」を思い出しF君の身の上を案じる
ではなぜ改めて「トラック野郎」の話題を出してまでたかがこんなニートの自堕落的な話しをする気になったのか、不思議に思ってしまったかの知れません。
その理由とは菅原文太兄いとしても今回の「トラック野郎」の場面からしてあくまで古今東西における20代の若手達にも救いの主となり得るからです。
話はF君に戻りますが彼は主さんより「一生ここにいてもいい」と言われるも結局家族に見つかり追放され、島根の実家に戻りました。
と思いきや間もなく新しい飼い主が見付かったと次は夜行バスで視聴者達にも場所を教えずに旅立ちました。
次はアパートで飼ってくれるとのことでしたが例の借金については実家の両親が肩代わりしてくれたとのこと(当時F君は28歳であったことが確認済)。
この後F君については動画の更新もなく所存不明となってしまいましたが少なくとも彼は「借金⇒地元から逃亡」が「トラック野郎」第6弾での村瀬と明らかに共通してはいます。
ただ村瀬については新天地で雅子と心機一転のリスタートと切ったのに対し、あくまでF君としては「生涯安定のニート生活を全う」が目標でした。
その良し悪しは別として現実的に本当に彼は働きもせず一生ゴロゴロしたまま生き残ることは可能なのか。
実はこれ訪問者さん達によるコメントでも身の危険を案ずる見解が当然のように目立ちました。
私としても最悪の事態が予測された動画だと見ています。
特殊詐欺の片棒を担ったり果ては保険金や臓器売買目当てであったりと、ここまで言いたくはないのですが。
仮に命が助かったとしてもニート更生を謳うアコギな業者に監禁されて家族が莫大な搾取に合ったのかも知れない。
こんなF君のような20代もまた菅原文太兄いが「トラック野郎」で演じた桃次郎のような存在に救われてほしい、と願うのは私だけでしょうか。
菅原文太兄いの「トラック野郎」は20代にとっても漢達の鏡です
しつこいようですが菅原文太兄いの「トラック野郎」とはまさに20代の若者たちにとっても合わせ鏡のような最高傑作であるには変わりありません。
まさに「トラック野郎」放映時においては当然信じられない事象かも知れないですが言うなれば「働いたら負け」みたいなニートの増加が社会問題として認知されてきました。
だからこそF君のように目標を失いさまよい続ける若者達にも「トラック野郎」に限らず菅原文太兄いが生前我らに発信してきたメッセージに目を向けてほしいのです。
菅原文太兄いは2014年に81歳で逝去するまで数年間、農業を営んだり果ては日本の未来の為に政治活動にも勢力を注ぎつつ、「人間力」を提唱して来ました。
改めて「トラック野郎」は桃次郎を通じ菅原文太兄いは愚直で流されない人間模様を演じてきたのですがこれは裏を返せば千変万化する荒波に向き合いつつ己の目標を貫き通す、と称すべく生き方なのです。
この視点からはF君のようなニートや引きこもりが後を絶たない原因として、現実の変化に対応できなくなってしまった、というのがまず1つ。
まあその背景には経済情勢始め実にピンキリな理由によるものではありますが、実はその原因として現代人は偏った思考により現実を客観的に見渡せなくなってしまったことによるものだと私は気付きました。
ここで菅原文太兄いによる生前のセリフとして紹介したい一言があります。
百姓も極道もトラック野郎もある1つの法則の下で生きている
と。
つまり「一番星号がトラクターに、鉄砲玉が農作物の種に変わっただけだ」と。
言い換えれば「トラック野郎」での桃次郎は単純バカ故にどんな環境においてもしぶとく勝ち抜き、仲間達から信頼され続けて来たのでした。
いきなりこんなことをF君のような若者に向けてもピンと来ないでしょう。
誰しもいきなり大きく変われないのは承知の上ですが同じなら「トラック野郎」にて菅原文太兄いが提唱してきた実直でどんな変化にも柔軟に向き合える生き方を、20代の若者達にも鏡として紹介し続けたいのです。
「トラック野郎」の原作フル動画は下記よりご視聴いただけます👇
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