「トラック野郎」一番星の「故郷特急便」での雄姿を、令和の年末に
「トラック野郎」一番星の、「故郷特急便」における誇り高き完結
今回もまたまた、あの映画「トラック野郎」の話題で、それもちょうど第10弾という節目にて、歴史的に盛大な完結を迎えた「故郷特急便」(1979年12月公開)の歴史的役割の話題をはじめ、改めて様々な角度から展開していこうと思います。
今年は、このトラック野郎シリーズ第10弾「故郷特急便」が完結してから実に40周年という、是非とも素通りできない歴史的なターニング・ポイントであることは、以前にも言ったことがあります。
という事で、一番星号がこのトラック野郎第10弾「故郷特急便」にて、いかにその誇るべく歴史的完結の一区切りを迎えたか。
で、一番星号が一旦「トラック野郎」という表舞台を去ったことで、我々に対して何を残し続けて来てくれたか。
みたいなところを、改めて見直してみることで、ただ単にこのトラック野郎「故郷特急便」を一番星号の引退作品として惜しむだけでなく、あくまでもこの一大行事にもよって一番星号がよりその英雄性を大きなものとしてきたことを、私は忘れたくはないのです。
ここでまず、トラック野郎「故郷特急便」にて、一旦一番星が見納めになったあの頃のご時世を振り返ってみますと、1980年代の幕明けを目前に控え、そして同時期のエンタメにおいては、例えばYMOの「ライディーン」や故・西城秀樹氏の「YMCA」などが主な流行の顔となっていました。
最も、この当時私は4歳で、いくらトラック野郎「故郷特急便」自体の存在は認知していなかったとはいえ、物心付かないなりにもどこがで無意識のうちにも時代の変化というものを感じていた。
そんな一時期でもありました。
かくして、トラック野郎・一番星号の存在自体をそれから数年後に知ることにより、次第にあの「故郷特急便」が放映されていた当時のご時世や文化についても、私なりに振り返る様になっていきました。
確かに、今から実に40年も前のご時世については、かすかながらにも世界の文明自体がアナログからデジタルへと転換期を迎えるべく動きもあって、その変化に複雑な思いを抱きながらも、真新しいものに対するワクワク感もまた隠せない時期でもありました。
「トラック野郎」が打ち切りになったのは、どのみち時代の流れや関係者側の事情によるものだろ
みたいなセリフで片づけてしまうのは簡単なことです。
がしかし、どうせなら、「トラック野郎」という歴史的最高傑作及び一番星号という、孤高の英雄を語り継いでいくに当たって、 あくまでも私としては、
この第10弾にして誇るべくクライマックスを迎えた「故郷特急便」もまた、自信を持ってお勧めしたい
のは、言うまでもありません!!
「トラック野郎」完結を一番星が、「故郷特急便」で盛大に飾る名場面
この「故郷特急便」が、映画「トラック野郎」シリーズにおける一大完結のクライマックスともなれば、どのみち一番星号としてもこの正しく最高の有終の美を飾るべくラストの爆走シーンも言うに及ばす絶対不可欠というものです。
で、この桃次郎にとっての最終のマドンナは小野川結花 (石川さゆり)氏で、歌手といういかにも決定的な役どころでした。
結花はもともとプロの歌手を志しており、キャバレー等でいわゆる歌い語りみたいな活動をしていたようです。
その結花の志が、物語の終盤が近づいてきた辺りで、アメリカの大物歌手からのスカウト、という型で実現していく型になります。
しかしその一方では、桃次郎との結婚願望も強く、なかなか結花自身がスカウトされたこと自体を、桃次郎に打ち明けられず、いつの間にか高松港への特急の時間も、過ぎ去っていました。
にも拘わらず桃次郎は、結花を強引に一番星号に乗せて、高知から高松港に向けて、出発しました。
持ち時間は後2時間半、特急でも3時間半とかかる道のりだと言われていました。
最も当時としては当然四国と本州を橋で渡れるなど、ほぼ夢に近い話しであったようで、しかも下道にて険しい四国山地を超えていくのは、過酷を極めたようです。
それでも桃次郎はためらう結花には一切構わず、歌手として晴れ舞台に立つことこそが、自身との結婚よりも結花にとっては本当の幸せである、としてその意思を貫き通しました。
で、一番星号は今まで自分が辿って来たとおりに、満身創痍になりながらも道なき道を恐れず怯まず突き進み、時間通り高松港の出発の時間に間に合わせたのです。
この結花の目的地である表舞台は、大阪は梅田コマでした。
そしてここで結花が披露した歴史に残る最高傑作こそが、かの「南国土佐を後にして」だったのです。
かくして、実に5年間計10シリーズに渡り、至高の英雄として大衆を導いてきた映画「トラック野郎」と、その主人公である一番星号が辿ってきた道のりが、最高のクライマックスにて、一旦表舞台を引退する型となりました。
「トラック野郎」一番星が、「故郷特急便」以来40年間示したもの
ここで話は戻りますが、このトラック野郎の最終シリーズである「故郷特急便」以降の関係者の意図について、実に興味を惹くべく話題があったので、触れてみることにします。
というのも、この「故郷特急便」の前作である「熱風5000キロ」撮影時の舞台裏に於ける、主人公役の菅原文太氏による証言です。
まあ、主演者側の意図という事にはなりますが、この際の文太兄いからは、以下のような何とも決定的なセリフが飛び出しました!!
「寅さん」シリーズが21作(1979年当時)と比べたら、俺達のシリーズはまだまだひよっこだ、少なくとも20作は続けたい
と語っていたのです。
併せて、「トラック野郎」シリーズにて監督を務め続けてきた故・鈴木則文氏としても第11弾のロケ地として、山陰や秋田などを打診していた、というくらいです。
よって、少なくとも「故郷特急便」で打ち切りになってしまった理由としては、その他何らかの止むを得ない事情があったとしか、考えようがないものです。
確かに、私の立場から「故郷特急便」のクライマックスを今振り返っても、この上ない淋しさと、一種の憂鬱な感覚を覚えることもあります。
しかし、この「故郷特急便」にて「トラック野郎」シリーズが打ち切りになってしまったことをただ惜しむだけでは道は開けてきません。
それよりも今もなお一番星号自体がご健在であるという視点からも、この至高の英雄の魂は不滅であり、我等こそがこの英雄的価値を継承していくのだ!! という姿勢こそが絶対不可欠です。
考えてもみてください。
40年、いや「トラック野郎」シリーズ誕生以来実に45年間にも渡って現役で走り続けることのできる、放映当時の名車たちは、一体何台ほど現存していると思いますか?
よくは分からないですが、一番星号の相棒として付き添ってきたジョナサン号もとっくに何年も前に廃車になった、と聞いてはおります。
そうです、まさしくこの「トラック野郎」の主人公である一番星号こそが、生きた伝説として国民的英雄の最高位に君臨し続けていてくれるのは、紛れもなき真実です。
さらに、一番星号もまた昭和~平成~令和と、実に3つもの世代を生き抜いて来た現役の伝説でもあるのです。
トラック野郎シリーズ第10弾「故郷特急便」における、一番星号のクライマックスの完結場面は、以下よりご視聴いただけます。👇
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