オウム真理教事件の指名手配を振り返り、今思う事
この度地下鉄サリン事件関連の記事の中でも、さらにオウム真理教の指名手配という視点にも立ってみて、お話ししていこうと思います。
というのも、実は地下鉄サリン事件だけでなく、オウム真理教関連の事件については指名手配に関してもついこないだであったかのように、リアルタイムでの記憶として薄くはない、と言うところでもあるからです。
という事で、まずは私なりのオウム真理教事件に関する、一通りのリアルタイムでの記憶というものを、振り返っていくとします。
時は1995年の3月、この事件が発生した当時の私自身は大学一回生の春休みでして、その翌4月に満20歳の誕生日を迎えた、そんな時期でもありました。
さらに恐るべき告白をするのですが、実はこの事件が起きた約1週間ほど前、私は偶然にも東京都内まで新幹線を利用して一人旅に出かけていたのであります!!
今考えるとゾッとするような、なんだか例えようもない思いが未だに消えることはありません。
更にはこのオウム真理教関連の事件が起きた1995年というのは、ご存知の通り1月には阪神淡路大震災が発生し、未だかつてなかったような、全世界的に見ても究極なる試練の1年でもありました。
という事で、今回としてはオウム真理教関連の事件に対してさらに詰めた型で目を向けていくことにより、その一環として指名手配犯達の略歴から動機などについてもより一層お話ししていきたいところでもあります。
オウム真理教の林泰男始めとした、指名手配達について
地下鉄サリン事件始めとした、オウム真理教一連の事件が発生した、あの1995年という時期においては、まだまだ我が国における危機対策態勢というものについては、発展途上だったようにも感じます。
最もそれ故に、我が国においてはかつ前代未聞の挑戦すべく試練でもあった、と言うべきものでした。
なんせ教祖以下オウム真理教の指名手配犯達としても、元々は高度な頭脳の持主であったがゆえに、一通りの事件との闘いも過密で凄絶を極めました。
という事で、当時としては全国各地の鉄道の駅という駅には、林泰男始め平田信に高橋克也、そして「走る爆弾娘」の異名で呼ばれた菊地直子ら指名手配犯達の等身大パネルが設置されていたのを、覚えております。
また場合によっては、指名手配犯達それぞれの「変装予測モンタージュ」画像も公開されており、男性の指名手配犯達としては女装のサンプルもあったくらいです。
中には、指名手配犯達の等身大パネルに落書きをされたり、その他いたずらの跡があったりして、一方では野次馬的なムードも存在しておりました。
という事で、ここで改めて林泰男始めとした指名手配犯達の「いったいどこで、それぞれが人生を変えてしまうきっかけ」を作り、オウム真理教に入信していったのか。
と言うところを、振り返っていくとします。
まずは指名手配犯として、私の記憶の中でも最も先立ってくるのが、主犯格でもあった林泰男についてです。
彼については、前回の繰り返しにはなりますが、学生時代に父を亡くしたことがきっかけで、人とは違う道を歩む人生に目覚めたそうです。
そして、世界各国を放浪の旅の末に、次第に何か自分自身にとってのお手本を求めるようになり、その対象として選択したのがオウム真理教だった、という結果でした。
林はオウム真理教の社会に於いてはいわゆるやり手の「エンジニア」として教祖からも立派な右腕的存在であったがゆえに、殺人兵器としてのサリンの開発などに関与したそうです。
で、地下鉄サリン事件においては、実際にサリンを流出させた主犯格として、容疑が掛けられてきたとされております。
そしてその逃亡の結末としては、サリン事件より丸2年も経たない1996年は12月に、沖縄は石垣島にて逮捕されました。
私も林が逮捕された際の報道を、たまたまニュースで見ておりましたが、「殺人マシーン」のイメージとは程遠い、穏やかな好青年という印象でした。
結果的にこの林泰男については2018年7月に、仙台は宮城刑務所にて、死刑が執行されました。
オウム真理教指名手配犯の中の、これら2人の男達
で、指名手配犯2人目として浮かんでくるのが、平田信です。
平田は北海道は札幌出身で、同じ北海道内の大学を卒業後上京して就職するもなぜかすぐに退社したようで、これを機にオウム真理教入信へと足を踏み入れていった、とされております。
元々彼は射撃の競技で高校時代はインターハイ出場体験もあり、大学時代も競技を続けていたそうです。
また183㎝という恵まれた体格という恵まれた体格とも併せて、教団において射撃訓練を受けたりして、主にボディーガードとしての期待が高かったとされております。
平田がかかわった事件としては、都内の公証役場事務長監禁致死事件とされており、2012年1月に都内にて逮捕されました。
実に指名手配されてから17年の逃亡の末に、平田自身の出頭という型でしたが、平田逮捕当時と言えば、東日本大震災直後でした。
恐らく、このような過酷な当時のご時世を受けて、平田自身としても今までの行動に強く対抗を感じるようになり、事件に区切りを付けたかったからと言われております。
結果平田は2014年に懲役9年の実刑判決を、東京地裁より受けており、現在服役中とのことです。
また、高橋克也についても、前回その生い立ちについてお話ししましたが、入信後は主に諜報役として教祖のボディーガードなどを務めていたようで、地下鉄サリン事件始めとして、公証役場事務長監禁致死事件などに関与したとされています。
高橋が逮捕されたのは2012年6月で、ちょうど平田が逮捕されて下に半年後に、都内の漫画喫茶にて発見されたのがきっかけだったようです。
結果無期懲役の判決を受けて現在服役中です。
オウム真理教指名手配犯の、この女にも着目です
そして主な指名手配犯としての4人目は、菊地直子についてです。
元々の動機としては、高校卒業後本格的に麻原彰晃の著書を読んで、その神秘な精神世界に強く惹かれていくようになり、家出をしたことだと言われております。
元々恵まれた運動能力の持主として、オウム真理教時代にも東京国際女子マラソンや大阪国際女子マラソンに参加したこともあります。
この菊地が関わった事件としても、地下鉄サリン事件においてはサリン製造に関与し殺人及び殺人未遂の容疑で指名手配されていました。
菊地が逮捕されたのも実は高橋と同じく6月でしたが、逮捕された順番としては、実はこの菊地が高橋より先でした。
結果的に彼女に対する判決としては、なぜか無罪となっております。
最もその背景としては、逮捕されたオウム真理教関係者達による一連の発言に対し、合理性や信憑性を欠き信用できなかったためではなかったのか、と言われております。
言い換えれば、事件に対する証拠不十分だったという事でしょうが、菊地がなぜ17年間もの間指名手配犯として逃亡してきたのか、このあたりの真相も謎めいた点が多いと見受けられます。
とすれば、ザッと言うならオウム真理教関係者達にただ振り回され続けた人生であった、という事でしょうか。
オウム真理教の指名手配犯達逮捕後も続く、凄絶な死闘
オウム真理教一連の事件に対する情報としては、伝えきれないほどのものであり、指名手配犯達逮捕後としても恐らく次々とあらたな事実関係が解き明かされていく事も予測されます。
また、麻原彰晃の死刑執行後も尚後継者に当たる団体は依然として存続しており、20代の若いし信者が未だに増え続けているといいます。
ついでにですが、地下鉄サリン事件から25年を迎えた時点でのの数字的なデータとしては、後継者団体における信者の約5分の1もが20代以下であり、全体の信者数としても1650人と、10年前より150人ほども増加している、とのことです。
この実態と、そして今日における過酷な社会情勢と照らし合わせて見ても、残念ながらかつての指名手配犯達と共通すべく点が出てきそうな気もします。
という意味では即ち、オウム真理教と一般市民達との壮絶な死闘は、今後ともどこかで続いていくものだと考えられます。
そのためにも、我々リアルタイムにて見届けてきた世代としても、改めて20代以下の若い世代に対して、オウム真理教が如何なる組織であって、かつていかなる社会的な行為を働いて来たのか。
という風なところを、身に染みて分かりやすく伝えていきたいものでもあります。
前回も紹介した 「NHKスペシャル 未解決事件File・オウム真理教」のシリーズについては、下記よりドキュメンタリーとしてご視聴いただけます。👇
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