月別アーカイブ: 2022年12月
「トラック野郎」一番星号実車と運命の出会いを果たせた2022年とは私だけでなく、社会全体にとってはコロナ禍における劇的な一大転機でした。 まずこの「トラック野郎」出演の正真正銘の一番星号の本物と生まれて初めて私が出合えたのは、2022年5月4日は和歌山で開催された歌麿会主催のチャリティー大会においてでした。 このイベントでは「トラック野郎」原作をリアルタイムで見届けただけでなく、実際にこの映画の製作にも何らかの型でか関わったであろう、そんなレジェンド達とも生で触れ合えた貴重な一場面でした。 一番星号の姿を入場と共に発見するや否や、直ちにその試乗現場へと突入、まずはこの国宝級な傑作車両の外観を運転席側から箱の荷台~リア~左サイドという感じで、慣れないながらもスマホでの激写に没頭し続けました。 あの会場で私は滅多に味わったことがないほどのイベントであるがゆえに、まずは一番星号はじめとしたデコトラたちに「触れ合い、視覚で味わう」感覚を養うつもりでナイトシーンのラストまで辛抱強く過ごしました。 併せて「トラック野郎」時代のレジェンド及びこの作品に慣れ親しんできた熱烈なファン達と共有の話題で盛り上がったりつつ、ステージでのコンサートやトークショー等々のメインイベントを鑑賞していました。 よって「トラック野郎」出演の実車一番星号参加のイベントにおける大まかな流れと楽しみ方とは大体こんな感じかな? と一通りの要領を把握した第一歩が、この和歌山でのチャリティー大会でした。 次いでにこの和歌山市だけでなく(と言ってもほぼ大阪との県境でしたが)、目的地に向かうまでに通った大阪南部の幹線道路である国道26号はじめとしたルートそのものとしても、私にとっては「トラック野郎」一番星の聖地であると、今改めて実感できたのです。 「トラック野郎」一番星の聖地その2は、関西地方の北の果てでした 「トラック野郎」一番星号参加のイベントにおける大まかな楽しみ方を初回の和歌山大会でザッと掴んだ私が一番星号と2度目に出会ったのが、滋賀県高島市の国境高原スキー場におけるイベント(2022年10月9日)でした。 関西と言ってもすぐ先は福井県の看板の見える国道161号だったのですが、ここでも「トラック野郎」をリアルタイムで見届けてきた歌麿会会長らと貴重な時間を過ごせました。 一番星号及び歌麿会幹部たちはこのイベントではあくまで「ゲスト」としての参加でしたが、言うまでもなく日本のデコトラ文化には絶対不可欠な存在には変わりありません。 当然私としても真っ先に一番星号市場コーナーへと足を運び、まずはスマホでこの外観からの激写に没頭。 一番星号はじめ各名車達の激写には思いのほかスマホの電池残量の減少が激しいことを教わった私は、初回にも増して充電だけでなくあらゆる面において準備を徹底した上で臨みました。 要は「トラック野郎」一番星号の遺伝子を継ぐ名車のオーナー達と面会する以上は、あくまで社会見学での情報収集や一般企業における研修と変わりないのです。 よってこの2回目となったイベントでは以前にも増して「学ぶ」という姿勢に重点を置いた上で、一番星号の試乗をも含めた動画や画像素材の作成・その他諸々の情報収集を理屈抜きで実践する感覚を掴みました。 滞在時間としましては10時~13時で決して長くはなかったのですが、それでも短期集中により良い情報収集にも臨めました。 また天候としても雨が降りそうな空模様であったにも拘わらず、この場に誇り高く君臨した一番星号にその遺伝子を継ぐトラック野郎達の粋の良さは、そんな憂鬱をも呆気なく吹き飛ばしてくれました。 即ち「トラック野郎」一番星号の聖地として、滋賀県北端部のこの地も選出しました。 「トラック野郎」一番星の聖地として極めつけは大阪のこの地です!! 「トラック野郎」一番星号と3度目に面会を果たした思い出の聖地は、名立たる音楽フェス等々のイベントが開催されてきた泉州は大阪泉大津フェニックスです。 それも一番星号出場のこのイベントは藤商丸急行というグループ主催のハロウィンイベント(2022年10月30日)でした。 まさにこれは「トラック野郎」一番星号を元祖とする日本のデコトラ文化と、西洋から輸入された異色同士の文化による融合が楽しめた、特有な感覚を学べた貴重なイベントでした。 ここではより一層密度の高い情報収集を実践すべく、一番星号の激写にとどまることなく一番星号の遺伝子を継ぐ、歌麿会や関西中心としたデコトラ世界の傑作車両達の激写に以前にも増して没頭。 費用的にも一番星号の試乗(500円×10回分)にほぼ特化する認識で、動画に画像素材の作成に明け暮れ、併せて取材に来ていた泉大津市の関係者の方とも熱きトークを交わせました。 「私カリスマ継承漢が一体何者でどんな経歴の持主で、いかなる情報発信を実施しているか」を、「トラック野郎」原作の話題と併せて、熱烈に伝えました。 また他の一般客にも私が「トラック野郎」一番星号はじめとした話題を情報発信している旨をアピールすることで、より一層の共感を得られた貴重な時間でした。 さらに「トラック野郎」が海外でも愛されて止まないことを実証してくれたのが、白人青年のジェシー君(仮名・推定30歳)でした。 「日本のトラック野郎はカッコ良いですか?」と尋ねるや否や彼は「うん、「トラック野郎」観たことあるよ、アレ最高ね!!」と即答、彼にもまた私が運営しているメディアを実際に紹介させてもらいました。 よって「トラック野郎」一番星の聖地として、この和泉大津フェニックス及びイベント途中で通った幹線国道も選出することにしました。 「トラック野郎」一番星号の聖地を選出し熱く語る私なりの演出意図 「トラック野郎」で一番星号がロケに訪れた現場に限らず、世の名立たる最高傑作を語るに当たっては、名優達がロケを実施した観光名所や飲食店にホテル等々が話題に上るのもまた、必然であります。 かくいう私もかつて「トラック野郎」で一番星号が訪れた場所へツーリングでの長旅の一環として、知らず知らずのうちに足を運んでは来ました。 ただしあれらの聖地が「トラック野郎」の作中における舞台として設定されても、必ずしも実際の現場と完全一致してきたわけでもありません。 といいますと一番星号の爆走航海での「国道4号線」の設定で実際にロケが観光されたのは都内の郊外地の県道であったりしたことも、しばしばあり得たのです。 そんな実にピンキリまでの「トラック野郎」作中における聖地として私なりには ①新潟駅前(「度胸一番星」のクライマックス) ②京都は東寺の五重塔を真正面に構える京阪国道口(「天下御免のクライマックス」) をひとまず選出します。 と同時に「トラック野郎」一番星号の聖地を紹介するに当たり今回私が声高に主張したいのが実際の作中の舞台に限らず、イベント開催地も同様に聖地である、という事です。 まさにそれこそが今回延々と話し続けてきたイベントの話題でした。 即ち何も一番星号が「トラック野郎」原作で走ったスポットである場所だけが聖地であるとは限らないのです。 例えばあなたが和歌山でのイベントに足を運んだとすると、その道中で通った幹線国道や高速等も、同様に思い入れの強い聖地として選出すべきである、と伝えたいのです。 同様に「トラック野郎」主題歌は「一番星ブルース」においても目的地の届け先に限らず、トラック野郎達にとっては爆走航海途中の交差点なんかもまた思い入れの深い聖地である。 そんな世界観を描写しております。 即ちこの視点から私にとっての「トラック野郎」一番星号の聖地をまとめ上げますと、大阪始めとした関西地方におけるイベント会場並びにその道中における幹線国道、といったところであります。 歴史的最高傑作「トラック野郎」は下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU-NEXTなら、31日間お試し期間付きで、ポイントも有効活用できます!! この期間内なら解約も一切無料です。 気になる月額利用料金は、2,189円(税込)です。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」で田中邦衛先生もまたこの作品における代表的な銀幕俳優として、実は不可欠な存在でした。 「トラック野郎」においてはもとよりこの田中邦衛先生以下、ライバルのトラック野郎達のキャスティングが昭和のいわゆる「銀幕」と称された名優たちにとっての重要なポジションでした。 即ち田中邦衛先生としてもまさしくあの特有なアクの強いキャラで、このライバルのポジションを担った1名だったのです。 例えば「トラック野郎・度胸一番星」ではジョーズ軍団ボスに元祖アクションの千葉ちゃん、「望郷一番星」ではカムチャッカに文太兄いの盟友・梅宮さんという風に、ひとえにライバルと言ってもまたピンキリでした。 中でも田中邦衛先生によるキャスティングが「トラック野郎」においては実に異色で面白い位置づけであったというのが、今回の主たる話題であります。 それもただ単にトラック野郎以外のポジションでも主人公にとっての「ライバル」として、田中邦衛先生が「トラック野郎」シリーズの2作に渡り出演してきたのでした。 即ちこのライバルとはトラック野郎仲間達による稼業そのものとっての宿敵でもあった警官だったのです。 ついては「トラック野郎」にて田中邦衛先生が演じたトラック野郎そして警官という2通りのライバル役について、今より紹介していきます。 「トラック野郎」で田中邦衛先生演じたこのライバルによる因縁対決 「トラック野郎」においては田中邦衛先生こそが実はライバル役としての元祖の1名であると称えるべくです。 田中邦衛先生が登場したのは「トラック野郎」第2弾「爆走一番星」であって、ここで彼はボルサリーノという大型ダンプの使い手を演じました。 さすが知る人ぞ知る名優だけあって、田中邦衛先生と一番星との死闘もこの上なき凄味の連続でした!! ボルサリーノと主人公の一番星との対決の根本としては、元岩手県警人呼んで「花巻の鬼代官」からトラック野郎へと転身したやもめのジョナサンに対する深い因縁でした。 奴はジョナサンを探しにみちのくより姫路まで仲間を連れて遥々遠征、国道でジョナサンのトラックを停止させて「俺の顔をお前が思い出すまでどこまでも追いかけていくぞ!!」と挑発。 でゆくゆくは姫路のドライブインにてジョナサンにワッパ勝負を挑むも奴に立ち向かおうとしたジョナサンの身代わりとして勝負を受けたのが相方の一番星でした。 この一番星との拳での格闘の最中でボルサリーノは自身の訳アリな境遇をトラック野郎達に打ち明けたのです。 みちのくの片田舎で父を早くに亡くし全財産の土地を売り払って病弱の母を養う為にトラックを購入して稼業の道に入った彼でした。 違反しなければ生活できない、そんな過酷な状況で奴は警官だったジョナサンに追い詰められ、ある日ジョナサンに追われたボルサリーノのトラックは激突して大破したため稼げなくなり、そのお陰で母も病院を追い出されて死亡。 当然の如くジョナサンに対する復讐は不可避でした。 この後一番星とのワッパ勝負の途中でジョナサンが割り込んできたために中断し、そこでボルサリーノは潔く復讐に終止符を打つかのようにジョナサンから身を引きました。 クライマックスとしては一番星による姫路~長崎までの爆走航海を警官隊の追跡から防御する型で支援し、「トラック野郎」におけるライバルとしての重役を全うしました。 田中邦衛先生は以上のような運びで「トラック野郎」におけるライバルのあるべき原型を示してくれたのです。 「トラック野郎」で田中邦衛先生が第2のライバル役により偏見を覆す 「トラック野郎」において田中邦衛先生がもう1つのライバル役として警官を演じたとは言いましたが実はこのキャスティングにより、「トラック野郎」での歴代ライバルの固定したイメージを決定的に覆してくれた史実でもありました。 不謹慎ながらもトラック野郎達の立場からすると警官とは古今東西においてライバル的存在にもなりかねないのです。 即ち「トラック野郎」とは警官とのイタチごっこを描いた物語であるとの認識をより一層高めたのがシリーズ第8弾「一番星北へ帰る」において田中邦衛先生が演じた岩手県警「2代目花巻の鬼代官」は赤沢警部でした。 この役においても田中邦衛先生ならではのトレードマークであるアクの強きキャラは必然でした。 彼はみちのく地域のトラック野郎達から恐れられており、物語のしょっぱなから本物の婦人警官に暴行を働いた一番星を目の敵にしてきました。 この田中邦衛先生による役柄からしても一番星にライバルとして因縁を持ち続ける立場にありました。 そしてこの因縁の末路は一番星号によるラストの爆走航海での対決でしたが、何とここでは一番星が運んだ荷は重篤に陥った赤沢警部の妻を救命するための人工透析装置でした。 赤沢警部は「一番星の追跡を追跡を直ちに止めて先導せよ」との命令があり患者も判明したにも拘わらず「あの暴走トラックだけは絶対に許せん!!」と、凄まじきまでの執念の追跡を継続。 しかし到着先では一番星が自分のかけがえなき家族を救ってくれたことを確認後「ありがとう」と一言、その表情は鬼代官としての赤沢ではなく、1人の血の通った人間としての表情でした。 よって今回のまとめとしては田中邦衛先生はまさに「トラック野郎」にて2つの異色同士なライバル役を演じたことで、この作品におけるライバルの固定観念を決定的に覆してくれた、 てなところです。 併せて今回の「トラック野郎」2シリーズにおける出身地の設定をみても、田中邦衛先生と言えば北国、という印象を広めた点で興味深い演出意図が感じ取れます。 田中邦衛先生出演の「トラック野郎」第2弾「爆走一番星」及び第8弾「一番星北へ帰る」は、下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU‐NEXTなら31日間無料お試し期間付きで、ポイントも有効利用できます。 この期間内なら解約も一切無料。 気になる月額料金は2,189円(税込)円です。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」を最高傑作として紹介し我ら個人メディアが大手のメディアに負けることなく訪問者さん達に支持され続ける、そんな戦略を紹介していきます。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「西部警察」悪役はじめとした話題もまた、私のメディアでは絶対不可欠であって、「西部警察」そのものについても今更ではありますが多角的な視点より語り続けてきました。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」にダンプカーの名車も言うまでもなく多々存在してきました。 いや「トラック野郎」ではダンプカーも定番中の定番として人気を集めてきた、と言っても決してオーバーではなさそうです。 それもなぜか私の記憶ではライバルよりむしろ一番星やジョナサン達のトラック野郎仲間達に多かったように思うのも意外なところでもあります。 一方「トラック野郎」の原作中でダンプカーが一番星に体当たりをしてきた場面もあり、第1弾「御意見無用」では主人公が奴らと乱用騒ぎを起こしました。 また第9弾「熱風5000㌔」でもダンプカーに体当たりされ同様に主人公が反撃に出るも残念ながらこの際一番星はクレーン車に衝突され、飾りが大破してしまいました。 よってダンプカーとはこの意味では「トラック野郎」において、ジョーズやカムチャッカとはまたまた異なった「隠れたライバル」的存在としても活躍したように思います。 そういえば「トラック野郎」でダンプカーが唯一メインのライバル(ボルサリーノ)として出演したのは第2弾「爆走一番星」のみでしたが、にもかかわらず奴らの名車も「トラック野郎」史上において傑作車両だったのは、言うまでもありません。 「トラック野郎」でダンプカーの名車と言ってもこんな感じでピンキリではありますが、早速私なりの独断と偏見ながらもガチで厳選の上で、熱く語らせていただきます。 「トラック野郎」のダンプカーの名車をまず早速1台紹介しますが、第5弾「度胸一番星」に出演した女トラック野郎は紅弁天です。 「トラック野郎」ダンプの名車を、以下の通り厳選しました この女トラック野郎を演じたキャストがかの演歌の女王は八代亜紀先生であったという点も必見で、即ちトラック野郎と言えばズバリ、演歌です!!... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」車種として主に大型4大メーカーの車種を集中的にこのサイトでは紹介しております。 「トラック野郎」では一番星号の車種は言うまでもなく、例えば日野HE型というトレーラーモデルなんかも、物語のライバル車に使用された代表として、熱を込めて語ってきました。 そんな中でも今回もまた「トラック野郎」はライバル車に焦点を当てて紹介していくのですがズバリ!! これもまたまた日野自動車からの車種に当たります。 というか、今回紹介する車種としても一番星号の三菱ふそうFシリーズと並んで、定番中の定番である不可欠なモデルなのです。 その車種は70年代においては商業的にも大型4大メーカーの中では恐らくトップのシェアを誇っていたと思しきところで、海外でも多くの国において人気を総ナメにしてきた模様でもあります。 よって「トラック野郎」のライバルの傑作車両としてベース車に最も相応しかったイメージは決して否定できないところでした。 もともと日野と言えば「トラック野郎」発表当時の1975年以前にかくいう商業的な成功を収めており、正しく「信頼の日野」として高く支持され続けてきました。 以上のような社会的信頼の下で世に送り出された車種が「トラック野郎」においていかなるライバル車としての役割を果たしてきたか。 ここに焦点を当てつつ、熱く語っていくとします。 「トラック野郎」車種に日野の大型がモデルとなったこれらの名車 「トラック野郎」の車種にももはや日野の大型モデルは必然の存在で、まずはこの車種そのものから紹介に入っていくとします。 というのは同じ「トラック野郎」のライバルを語るに当たっても、今回ばかりは特に車種そのものから入っていった方が、むしろよく分かりやすいであろうからです。 日野の大型車種がいわゆる「赤いエンジンシリーズ」でブランドを確立したのが70年代初頭からで、後に「トラック野郎」のライバル車に使用されることになりました。 ついてはこの世代における大型車種は型番のみが呼称となっており、主な呼び名としてはTC・KF及びZMてなところが代表的で、併せてマイナーチェンジの視点から大きく2つのモデルに分類するとします。 まずはマイナーチェンジ前のモデルの1台目としては第1弾「御意見無用」におけるライバルは関門のドラゴンで、車種的にはKF中期型とされています。 形状は平ボディのカーゴで、飾りのイメージとしてはよくよくデコトラ専門誌や「昭和の名車」みたいなジャンルでの増刊号に登場する、古き良きデコトラ発展途上期のようなギラギラした粋な感覚です。 そして同じくKF中期型が使用された、2台目に紹介するライバル車両は第4弾「天下御免」に出演したコリーダ丸。 「トラック野郎」の作中でもダークホースな異彩を放ち、荷台の箱には宇和島の闘牛をダイナミックに描いて「血沸き肉躍る」ラテンの熱き血が騒ぐイメージで、一番星のトラック野郎仲間達に恐れられた一種の「伝説的なライバル」でした(下記の画像)。 ついでマイナーチェンジ後のモデル・KF後期型が使用された3台目のライバル車両として紹介するのが、第5弾「度胸一番星」に出演したジョーズ軍団のリーダーは新村譲治が乗ったタンクローリー。 マイチェン前と比べさらにフロントマスクが凄味を帯びた迫力で、キャストにも元祖アクションの千葉ちゃんを迎えたことで「トラック野郎」そのものがアクション超大作へと進化した一大転機でした。 まとめるならこれらは「トラック野郎」出演車種の中でも日野大型70年代前期/後期と呼ぶのが分かり易そうです。 「トラック野郎」車種日野大型70年代モデルが競合車種とこう異なる 「トラック野郎」出演車種でも、実は今回紹介した日野大型70年代の前期/後期モデルはKF・TC・ZMが、同世代の競合他社(三菱ふそう・日産UD・いすゞ)モデルにはない魅力があることに気付きました。 まず70年代の大型車種は基本的に以下のニックネームがおごられていました(上記の競合3社)。 ①三菱ふそう・Fシリーズ⇒般若顔 ②日産UD・Cシリーズ⇒ダルマ ③いすゞ・ニューパワー中期型⇒ゴリラ顔 なおこれらの車種名(Fシリーズ等々)については一般的な俗称を提示してあります。 したがってこれといった具体的なニックネームがなかったのは日野大型車種のみで、例えばあの世代の車種を判別するにもわざわざKF後期にZM前期、みたいにすぐにピンと来るものではなかったかも知れません。 しかし日野大型車種にも当時メーカー特有の強みがあったのは説明不要ですし名称抜きで魅力を語るとすれば、何より外観そのものの印象が決定的でした。 他社と比較しても上記のFシリーズは般若顔にせよ、UDのダルマにせよ、70年代の車種においてはなぜか丸みを帯びたむしろ穏健なルックスが定着してました。 確かに日野の車種としても丸みを帯びてはいたものの、当時の大型には見られなかった精悍なグリルの顔つきが強い売りだったように感じ取れます。 特に上記のジョーズ軍団のタンクローリーに使用された、モデルチェンジ後のKF後期型辺りになってからは、まさに名の如く海の猛獣的なイメージであったり、もしくは猛禽類のようなハードボイルドなイメージであったと称するのが相応しいところです。 なるほど、だからこそ今回紹介してきた日野の大型車種が「トラック野郎」のライバル車に最も相応しいモデルだったということが、よく分かりました。 「トラック野郎」には勿論これらの車種がライバルに限らず、一番星のトラック野郎仲間達の傑作車両のモデルとしても多々使用されてきました。 歴史的最高傑作「トラック野郎」は下記よりご視聴いただけます👇 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「西部警察」ライフル登場は団長による名場面を、熱く紹介していきます。 「西部警察」において団長がライフルをぶっ放す数々の場面は、言うまでもなく見るたびに魂を揺さぶるものがあるはずです。 またライフルの機種と言えば「レミントン」なんかがマニアたちの間で高ク認識され続けてきました。 次いでに西部警察署に於いては、ライフルの名手としては大門だけでなく、鳩村もその腕は絶賛されていたものでもあります。 ⇒鳩村によるライフル名場面はこちら さて、このように「西部警察」史上絶対不可欠なライフル登場場面ですが、さすが寸分たりとも狂いのない、そんな大門による腕により多くの人々は命を救われてきました。 時にそのライフルは、軍団の仲間が絶体絶命に陥った時には、止むを得ず仲間の動きを封じるために使用されたり、ある時は団長自身が拉致され要人暗殺目的に利用されようとした場面もありました。 ついては今回「西部警察パートⅠ」第113話「狙撃手、大門」においてライフルの腕に目を着けられた団長が拉致され、とある目的に利用された回を、激震的に語っていきます。 ここではライフルの名場面と併せて、西部警察署が団長抜きでの事件解決に向かっていった場面も見どころではあります。 「西部警察」でライフルの腕目当てに団長が拉致された事件の展開 「西部警察」にてホシ達がライフルの腕の利用するために団長を拉致したのですが、この目的を事件の展開と共に振り返っていくとします。 西部警察署を出た団長はある日行きつけの店をたまたま谷さんと共に最後に出たのですが、この後行方になってしまいました。 団長の妹は明子までも西部警察署に足を運ぶ羽目になり、事件を究明していく中で、驚愕の事実が次々発見されていったのです。 その決定的な目撃談となったのが左頬に傷のある任侠風の男だったのですが、実は団長だけでなく同時に行方不明になった谷さんの娘・ひろ子と奴が面会していた、との証言も飛び出しました。 ライフルの腕も全国の警察関係者達の中で1、2位を競い、敵が数人いてもびくともしないはずの団長がまさか!? のことでひろ子を人質に取ったことで、拉致されていたのでした。 さらに西部警察署に団長と左頬に傷のある男含むホシ達数名が乗ったオービスの映像が送られてきました。 団長は自分が拉致された証明を残すために機転を利かせ、わざと速度超過によりオービスを光らせたのです。 こうして西部警察署による捜査が一層加速の中で、左頬に傷のある男の正体が、吉田という右翼団体の構成員であることも判明しました。 同時にライフル販売店で団長がホシ達により手帳を提示してライフルを購入させられていた証言も入手。 ここまで来ればライフルを購入させた理由は言うまでもなく、団長の腕を何かの目的に利用する以外の、何物でもありませんでした。 既にこの時点で西部警察署の団長の替わりが谷さんになっており、ホシ達による狙いをさらに突き詰めるべく、拉致されたアジトとして芝浦の渡し船を突き止めるも既にそこはもぬけの殻でした。 しかしそこで「日高」なるキーワードを発見した軍団はサファリのコンピューターのリストにて「日高円城」なる人物を特定し、これこそが事件解決の向けた最終の手掛かりとなったのです。 日高は「義友会、会長」と記載されており、早速谷さんら一行は奴の自宅へと強制捜査に踏み入りました。 「西部警察」でライフルの腕目的に団長を拉致の目的と衝撃の結末 かくしてライフルの腕を利用し、ホシ達が団長に一体何を要求していたのか。 ここがあの事件における最大の課題でした。 日高の部下達にライフルを団長に購入させた理由を問い詰めた結果、標的は来日予定のとあるヨーロッパの経済学者でした。 この要人を団長のライフルの腕を利用して襲撃するのが、一味による最終目的だったのです。 狙撃の指定時間としては午前10時、後1時間と迫った時点にも拘わらず西部警察署の上層部は「もはやなすすべがない」と諦めるも谷さんら一行は標的となる要人を乗せた車に付き添う態勢を取りました。 あとは団長がライフルを構えている場所の特定ですか、サファリに乗っていたリキがハイテク装置にて探し当て、ビルの高層部で射程距離は驚愕の300メートル!? ここで谷さんとして驚くべき作戦がひらめき、要人と谷さんとのルックスが似通っていたという利点を活用して、その要人に成りすましたのです。 「団長のライフルの襲撃を受けるのならば本望」と谷さんは防弾装置に血糊で防備しての究極なる決断でした。 そしてついに指定時間の10時、ライフルの引き金を引いた団長の弾は1cmとズレない型で谷さんの防弾装置に命中、これにて標的となった経済学者は無事保護されました。 しかしこの後一味は団長たちを後始末すべく襲撃開始、ライフルで主犯の日高を殴打した隙にひろ子は逃走も団長は腹部に銃弾を受けました。 こうして満身創痍になりながらも団長はひろ子の救出にも成功し、自らも救急車で搬送されるも事なきを得ました。 今よりまとめに入りますが「西部警察」におけるライフル射撃のカッコ良さと併せて、団長抜きでの西部警察署がいかに知恵を振り絞り、究極の場面にて勝ち抜いたか。 が、このシリーズにおける最終的なテーマで、こここそがいかにも激震的な演出で視聴者に訴求する最高傑作でした。 「西部警察パートⅠ」第113話「狙撃手、大門」は、下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU-NEXTなら、31日間お試し期間付きで、ポイントも有効活用できます!! この期間内なら解約料金も一切無料。 月額利用料金は、2,189円(税込)です。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」一番星号の実車が原作放映時と変わらぬ姿にて、一般市民がイベントにて触れ合えるようになるまでの復活劇を、今回は熱く語っていきます。 一番星号がまず原作時に等しい飾りで復活を遂げた時期としましては、「トラック野郎」最終作終了後より実に40年近くを経た2010年代後期であったとされます。 具体的な一番星号復活劇については、私としてもデコトラ専門誌等でうっすらと覚えている程度でしかありませんが、少なくとも我らがイベントにて楽しめる「完全復活」を成し遂げるには、実に4、5年はかかった模様ではあります。 ⇒一番星号参加のイベントの模様はこちら そういえば「トラック野郎」で一番星号がデビューを果たして40周年を迎えた2015年に北海道に上陸した時点では、荷台のペイントがはがれていたりと、古さを隠せない外観ではありました。 もっと遡れば「トラック野郎」終了後における一番星号は高年式の波を隠せずに、一時は廃車寸前にまで陥ったという情報もあるくらいです。 一方で「トラック野郎」終了から僅か2年も経たない1981年に一番星号が文太兄い主演の刑事ドラマ「警視庁殺人課」にて、ある1話内にエキストラで出演した事もあります。 また私が「トラック野郎」及び一番星号の存在を知り得たのはシリーズ終了後より約10年を経た80年代末期でした。 ついては「トラック野郎」終了後から実に数十年以上を経て一番星号を完全復活を実現させた関係者達による生き様を追いながら彼らに対する敬意を示しつつ、今回も熱を込めて語っていくとします。 「トラック野郎」一番星完全復活に至るまでの人知れぬ困難と愛着心 これは「トラック野郎」愛好家なら言うまでもありませんが、「トラック野郎」の原作に見合う作品の復活は無理にしてもせめて一番星号の実車だけは国宝として保存してもらいたい。 そう願っていたに違いありません。 「トラック野郎」出演車の中には高年式による老朽化を隠せず、一番星の相方は「ジョナサン号」のように生憎廃車となってしまった名車達も少なくありません。 あるいは「トラック野郎」最終作に出演したライバル車は龍馬号のように、キャブ本体は保存されても荷台は爆破により解体されてしまった実例もあります。 これは「トラック野郎」終了後数十年間における社会環境の変化にも伴うものだからやむを得ないと言ってしまえばそれまでかも知れません。 まず一番星号の車種自体が70年代前半期の型としても維持するには現行型と比べて大変な手間暇を必要とします。 車検でも40年以上経った車両が合格するには厳しい点もあったり、かと言ってエンジンをオーバーホールにも部品の取り換えがきくという保証もありません。 飾りのパーツともなればなおさらで、現代のデコトラ専用パーツは電球1つにしても「トラック野郎」放映時と同じパーツを調達するのは至難の業だったことでしょう。 それでも一番星号を何としてでも復活させねば!! というオーナーはじめ関係者の職人たちによる揺るぎなき愛着心は決して消えませんでした。 希少価値を生み出せる専門家達のお陰もあり見事「トラック野郎」最終作「故郷特急便」終了時に等しい飾りにて、完全復活を成し遂げました。 一番星号完全復活に当たり例えばデコトラグループ最大手「歌麿会」の田島会長としても、 あくまで「トラック野郎」放映時に等しい姿でなければ、一番星号は本物の文化資産としての価値を生み出せない との徹底した愛着心を示し続けてきました。 以上のような一番星号復活劇を振り返ると、21世紀を生きる我等のような後世の立場としても、実に痛烈なメッセージを発信している事を悟りました。 「トラック野郎」一番星復活劇の視点から、効率化と利便性を見直す 「トラック野郎」一番星号の復活劇を追うに当たり、今回は利便性を常日頃より享受する我らに対しての問いみたいなものを発見しました。 ネットの力が隅々まで行き届き、「トラック野郎」放映当時よりはるかに情報の調達はじめ何から何まで便利になった現代を生きる我等としても、改めて何かを見直す必要があることに気付いたのです。 「トラック野郎」のDVD1本にせよ、わざわざレコード店に足を運ばずとも通販サイトで簡単に注文でき、翌日配達も可能である。 あるいは聴きたいミュージシャンの名曲1つにしてもYouTubeの動画から無料で視聴も可能であったり、今世紀に入ってからあらゆる手間が省け有料が無料になったりと、効率化と利便性の発達は驚異的でした。 しかしこの効率化と利便性の裏を返せば環境の変化と共に「トラック野郎」に限らず、歴史的資産価値が軽視される恐れもあります。 一番星号の完全復活劇に見られるような、人知れぬ紆余曲折や愛着心が置き去りにされるかも知れないのです。 民間企業においても残業カットによる人件費削減はじめ、ありとあらゆる効率化が進められてきて、同時にコンプライアンス重視も長く叫ばれ労働者の人権も厚く保護されてきました。 確かにかくいう取り組みにより利益を上げてきた企業は少なくないですし、私としてもこれは決して外れでないと感じております。 ただ一方で効率化を偏重するあまり、この環境に慣れ切る事で先人達に対する感謝の精神を置き去りにしてしまうかもしれません。 言っときますが今ある利便性はいくら無料で享受できるようになったと言えど、決して当たり前ではありません。 即ち「トラック野郎」なる超大作を世に送り出してくれた制作関係者一同、及び一番星号と共にデコトラ文化を発展に導いてくれた団体の関係者といった先人達に対し、私なりにも精一杯の感謝の精神を示すべきです。 即ちその為に私は一番星号参加のイベントに自己投資の意味をも兼ねて参加し、こうしてメディアにより発信し続けているのです。 歴史的最高傑作「トラック野郎」は下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU-NEXTなら、31日間お試し期間付きで、ポイントも有効活用できます!! この期間内なら解約も一切無料です。 気になる月額利用料金は、2,189円(税込)です。 ... Read More | Share it now!
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