月別アーカイブ: 2022年12月
「トラック野郎」一番星号実車と運命の出会いを果たせた2022年とは私だけでなく、社会全体にとってはコロナ禍における劇的な一大転機でした。 まずこの「トラック野郎」出演の正真正銘の一番星号の本物と生まれて初めて私が出合えたのは、2022年5月4日は和歌山で開催された歌麿会主催のチャリティー大会においてでした。 このイベントでは「トラック野郎」原作をリアルタイムで見届けただけでなく、実際にこの映画の製作にも何らかの型でか関わったであろう、そんなレジェンド達とも生で触れ合えた貴重な一場面でした。 一番星号の姿を入場と共に発見するや否や、直ちにその試乗現場へと突入、まずはこの国宝級な傑作車両の外観を運転席側から箱の荷台~リア~左サイドという感じで、慣れないながらもスマホでの激写に没頭し続けました。 あの会場で私は滅多に味わったことがないほどのイベントであるがゆえに、まずは一番星号はじめとしたデコトラたちに「触れ合い、視覚で味わう」感覚を養うつもりでナイトシーンのラストまで辛抱強く過ごしました。 併せて「トラック野郎」時代のレジェンド及びこの作品に慣れ親しんできた熱烈なファン達と共有の話題で盛り上がったりつつ、ステージでのコンサートやトークショー等々のメインイベントを鑑賞していました。 よって「トラック野郎」出演の実車一番星号参加のイベントにおける大まかな流れと楽しみ方とは大体こんな感じかな? と一通りの要領を把握した第一歩が、この和歌山でのチャリティー大会でした。 次いでにこの和歌山市だけでなく(と言ってもほぼ大阪との県境でしたが)、目的地に向かうまでに通った大阪南部の幹線道路である国道26号はじめとしたルートそのものとしても、私にとっては「トラック野郎」一番星の聖地であると、今改めて実感できたのです。 「トラック野郎」一番星の聖地その2は、関西地方の北の果てでした 「トラック野郎」一番星号参加のイベントにおける大まかな楽しみ方を初回の和歌山大会でザッと掴んだ私が一番星号と2度目に出会ったのが、滋賀県高島市の国境高原スキー場におけるイベント(2022年10月9日)でした。 関西と言ってもすぐ先は福井県の看板の見える国道161号だったのですが、ここでも「トラック野郎」をリアルタイムで見届けてきた歌麿会会長らと貴重な時間を過ごせました。 一番星号及び歌麿会幹部たちはこのイベントではあくまで「ゲスト」としての参加でしたが、言うまでもなく日本のデコトラ文化には絶対不可欠な存在には変わりありません。 当然私としても真っ先に一番星号市場コーナーへと足を運び、まずはスマホでこの外観からの激写に没頭。 一番星号はじめ各名車達の激写には思いのほかスマホの電池残量の減少が激しいことを教わった私は、初回にも増して充電だけでなくあらゆる面において準備を徹底した上で臨みました。 要は「トラック野郎」一番星号の遺伝子を継ぐ名車のオーナー達と面会する以上は、あくまで社会見学での情報収集や一般企業における研修と変わりないのです。 よってこの2回目となったイベントでは以前にも増して「学ぶ」という姿勢に重点を置いた上で、一番星号の試乗をも含めた動画や画像素材の作成・その他諸々の情報収集を理屈抜きで実践する感覚を掴みました。 滞在時間としましては10時~13時で決して長くはなかったのですが、それでも短期集中により良い情報収集にも臨めました。 また天候としても雨が降りそうな空模様であったにも拘わらず、この場に誇り高く君臨した一番星号にその遺伝子を継ぐトラック野郎達の粋の良さは、そんな憂鬱をも呆気なく吹き飛ばしてくれました。 即ち「トラック野郎」一番星号の聖地として、滋賀県北端部のこの地も選出しました。 「トラック野郎」一番星の聖地として極めつけは大阪のこの地です!! 「トラック野郎」一番星号と3度目に面会を果たした思い出の聖地は、名立たる音楽フェス等々のイベントが開催されてきた泉州は大阪泉大津フェニックスです。 それも一番星号出場のこのイベントは藤商丸急行というグループ主催のハロウィンイベント(2022年10月30日)でした。 まさにこれは「トラック野郎」一番星号を元祖とする日本のデコトラ文化と、西洋から輸入された異色同士の文化による融合が楽しめた、特有な感覚を学べた貴重なイベントでした。 ここではより一層密度の高い情報収集を実践すべく、一番星号の激写にとどまることなく一番星号の遺伝子を継ぐ、歌麿会や関西中心としたデコトラ世界の傑作車両達の激写に以前にも増して没頭。 費用的にも一番星号の試乗(500円×10回分)にほぼ特化する認識で、動画に画像素材の作成に明け暮れ、併せて取材に来ていた泉大津市の関係者の方とも熱きトークを交わせました。 「私カリスマ継承漢が一体何者でどんな経歴の持主で、いかなる情報発信を実施しているか」を、「トラック野郎」原作の話題と併せて、熱烈に伝えました。 また他の一般客にも私が「トラック野郎」一番星号はじめとした話題を情報発信している旨をアピールすることで、より一層の共感を得られた貴重な時間でした。 さらに「トラック野郎」が海外でも愛されて止まないことを実証してくれたのが、白人青年のジェシー君(仮名・推定30歳)でした。 「日本のトラック野郎はカッコ良いですか?」と尋ねるや否や彼は「うん、「トラック野郎」観たことあるよ、アレ最高ね!!」と即答、彼にもまた私が運営しているメディアを実際に紹介させてもらいました。 よって「トラック野郎」一番星の聖地として、この和泉大津フェニックス及びイベント途中で通った幹線国道も選出することにしました。 「トラック野郎」一番星号の聖地を選出し熱く語る私なりの演出意図 「トラック野郎」で一番星号がロケに訪れた現場に限らず、世の名立たる最高傑作を語るに当たっては、名優達がロケを実施した観光名所や飲食店にホテル等々が話題に上るのもまた、必然であります。 かくいう私もかつて「トラック野郎」で一番星号が訪れた場所へツーリングでの長旅の一環として、知らず知らずのうちに足を運んでは来ました。 ただしあれらの聖地が「トラック野郎」の作中における舞台として設定されても、必ずしも実際の現場と完全一致してきたわけでもありません。 といいますと一番星号の爆走航海での「国道4号線」の設定で実際にロケが観光されたのは都内の郊外地の県道であったりしたことも、しばしばあり得たのです。 そんな実にピンキリまでの「トラック野郎」作中における聖地として私なりには ①新潟駅前(「度胸一番星」のクライマックス) ②京都は東寺の五重塔を真正面に構える京阪国道口(「天下御免のクライマックス」) をひとまず選出します。 と同時に「トラック野郎」一番星号の聖地を紹介するに当たり今回私が声高に主張したいのが実際の作中の舞台に限らず、イベント開催地も同様に聖地である、という事です。 まさにそれこそが今回延々と話し続けてきたイベントの話題でした。 即ち何も一番星号が「トラック野郎」原作で走ったスポットである場所だけが聖地であるとは限らないのです。 例えばあなたが和歌山でのイベントに足を運んだとすると、その道中で通った幹線国道や高速等も、同様に思い入れの強い聖地として選出すべきである、と伝えたいのです。 同様に「トラック野郎」主題歌は「一番星ブルース」においても目的地の届け先に限らず、トラック野郎達にとっては爆走航海途中の交差点なんかもまた思い入れの深い聖地である。 そんな世界観を描写しております。 即ちこの視点から私にとっての「トラック野郎」一番星号の聖地をまとめ上げますと、大阪始めとした関西地方におけるイベント会場並びにその道中における幹線国道、といったところであります。 歴史的最高傑作「トラック野郎」は下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU-NEXTなら、31日間お試し期間付きで、ポイントも有効活用できます!! この期間内なら解約も一切無料です。 気になる月額利用料金は、2,189円(税込)です。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」で田中邦衛先生もまたこの作品における代表的な銀幕俳優として、実は不可欠な存在でした。 「トラック野郎」においてはもとよりこの田中邦衛先生以下、ライバルのトラック野郎達のキャスティングが昭和のいわゆる「銀幕」と称された名優たちにとっての重要なポジションでした。 即ち田中邦衛先生としてもまさしくあの特有なアクの強いキャラで、このライバルのポジションを担った1名だったのです。 例えば「トラック野郎・度胸一番星」ではジョーズ軍団ボスに元祖アクションの千葉ちゃん、「望郷一番星」ではカムチャッカに文太兄いの盟友・梅宮さんという風に、ひとえにライバルと言ってもまたピンキリでした。 中でも田中邦衛先生によるキャスティングが「トラック野郎」においては実に異色で面白い位置づけであったというのが、今回の主たる話題であります。 それもただ単にトラック野郎以外のポジションでも主人公にとっての「ライバル」として、田中邦衛先生が「トラック野郎」シリーズの2作に渡り出演してきたのでした。 即ちこのライバルとはトラック野郎仲間達による稼業そのものとっての宿敵でもあった警官だったのです。 ついては「トラック野郎」にて田中邦衛先生が演じたトラック野郎そして警官という2通りのライバル役について、今より紹介していきます。 「トラック野郎」で田中邦衛先生演じたこのライバルによる因縁対決 「トラック野郎」においては田中邦衛先生こそが実はライバル役としての元祖の1名であると称えるべくです。 田中邦衛先生が登場したのは「トラック野郎」第2弾「爆走一番星」であって、ここで彼はボルサリーノという大型ダンプの使い手を演じました。 さすが知る人ぞ知る名優だけあって、田中邦衛先生と一番星との死闘もこの上なき凄味の連続でした!! ボルサリーノと主人公の一番星との対決の根本としては、元岩手県警人呼んで「花巻の鬼代官」からトラック野郎へと転身したやもめのジョナサンに対する深い因縁でした。 奴はジョナサンを探しにみちのくより姫路まで仲間を連れて遥々遠征、国道でジョナサンのトラックを停止させて「俺の顔をお前が思い出すまでどこまでも追いかけていくぞ!!」と挑発。 でゆくゆくは姫路のドライブインにてジョナサンにワッパ勝負を挑むも奴に立ち向かおうとしたジョナサンの身代わりとして勝負を受けたのが相方の一番星でした。 この一番星との拳での格闘の最中でボルサリーノは自身の訳アリな境遇をトラック野郎達に打ち明けたのです。 みちのくの片田舎で父を早くに亡くし全財産の土地を売り払って病弱の母を養う為にトラックを購入して稼業の道に入った彼でした。 違反しなければ生活できない、そんな過酷な状況で奴は警官だったジョナサンに追い詰められ、ある日ジョナサンに追われたボルサリーノのトラックは激突して大破したため稼げなくなり、そのお陰で母も病院を追い出されて死亡。 当然の如くジョナサンに対する復讐は不可避でした。 この後一番星とのワッパ勝負の途中でジョナサンが割り込んできたために中断し、そこでボルサリーノは潔く復讐に終止符を打つかのようにジョナサンから身を引きました。 クライマックスとしては一番星による姫路~長崎までの爆走航海を警官隊の追跡から防御する型で支援し、「トラック野郎」におけるライバルとしての重役を全うしました。 田中邦衛先生は以上のような運びで「トラック野郎」におけるライバルのあるべき原型を示してくれたのです。 「トラック野郎」で田中邦衛先生が第2のライバル役により偏見を覆す 「トラック野郎」において田中邦衛先生がもう1つのライバル役として警官を演じたとは言いましたが実はこのキャスティングにより、「トラック野郎」での歴代ライバルの固定したイメージを決定的に覆してくれた史実でもありました。 不謹慎ながらもトラック野郎達の立場からすると警官とは古今東西においてライバル的存在にもなりかねないのです。 即ち「トラック野郎」とは警官とのイタチごっこを描いた物語であるとの認識をより一層高めたのがシリーズ第8弾「一番星北へ帰る」において田中邦衛先生が演じた岩手県警「2代目花巻の鬼代官」は赤沢警部でした。 この役においても田中邦衛先生ならではのトレードマークであるアクの強きキャラは必然でした。 彼はみちのく地域のトラック野郎達から恐れられており、物語のしょっぱなから本物の婦人警官に暴行を働いた一番星を目の敵にしてきました。 この田中邦衛先生による役柄からしても一番星にライバルとして因縁を持ち続ける立場にありました。 そしてこの因縁の末路は一番星号によるラストの爆走航海での対決でしたが、何とここでは一番星が運んだ荷は重篤に陥った赤沢警部の妻を救命するための人工透析装置でした。 赤沢警部は「一番星の追跡を追跡を直ちに止めて先導せよ」との命令があり患者も判明したにも拘わらず「あの暴走トラックだけは絶対に許せん!!」と、凄まじきまでの執念の追跡を継続。 しかし到着先では一番星が自分のかけがえなき家族を救ってくれたことを確認後「ありがとう」と一言、その表情は鬼代官としての赤沢ではなく、1人の血の通った人間としての表情でした。 よって今回のまとめとしては田中邦衛先生はまさに「トラック野郎」にて2つの異色同士なライバル役を演じたことで、この作品におけるライバルの固定観念を決定的に覆してくれた、 てなところです。 併せて今回の「トラック野郎」2シリーズにおける出身地の設定をみても、田中邦衛先生と言えば北国、という印象を広めた点で興味深い演出意図が感じ取れます。 田中邦衛先生出演の「トラック野郎」第2弾「爆走一番星」及び第8弾「一番星北へ帰る」は、下記よりご視聴いただけます👇 名作ぞろいのU‐NEXTなら31日間無料お試し期間付きで、ポイントも有効利用できます。 この期間内なら解約も一切無料。 気になる月額料金は2,189円(税込)円です。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」を最高傑作として紹介し我ら個人メディアが大手のメディアに負けることなく訪問者さん達に支持され続ける、そんな戦略を紹介していきます。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「西部警察」悪役はじめとした話題もまた、私のメディアでは絶対不可欠であって、「西部警察」そのものについても今更ではありますが多角的な視点より語り続けてきました。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」にダンプカーの名車も言うまでもなく多々存在してきました。 いや「トラック野郎」ではダンプカーも定番中の定番として人気を集めてきた、と言っても決してオーバーではなさそうです。 それもなぜか私の記憶ではライバルよりむしろ一番星やジョナサン達のトラック野郎仲間達に多かったように思うのも意外なところでもあります。 一方「トラック野郎」の原作中でダンプカーが一番星に体当たりをしてきた場面もあり、第1弾「御意見無用」では主人公が奴らと乱用騒ぎを起こしました。 また第9弾「熱風5000㌔」でもダンプカーに体当たりされ同様に主人公が反撃に出るも残念ながらこの際一番星はクレーン車に衝突され、飾りが大破してしまいました。 よってダンプカーとはこの意味では「トラック野郎」において、ジョーズやカムチャッカとはまたまた異なった「隠れたライバル」的存在としても活躍したように思います。 そういえば「トラック野郎」でダンプカーが唯一メインのライバル(ボルサリーノ)として出演したのは第2弾「爆走一番星」のみでしたが、にもかかわらず奴らの名車も「トラック野郎」史上において傑作車両だったのは、言うまでもありません。 「トラック野郎」でダンプカーの名車と言ってもこんな感じでピンキリではありますが、早速私なりの独断と偏見ながらもガチで厳選の上で、熱く語らせていただきます。 「トラック野郎」のダンプカーの名車をまず早速1台紹介しますが、第5弾「度胸一番星」に出演した女トラック野郎は紅弁天です。 「トラック野郎」ダンプの名車を、以下の通り厳選しました この女トラック野郎を演じたキャストがかの演歌の女王は八代亜紀先生であったという点も必見で、即ちトラック野郎と言えばズバリ、演歌です!!... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」車種として主に大型4大メーカーの車種を集中的にこのサイトでは紹介しております。 「トラック野郎」では一番星号の車種は言うまでもなく、例えば日野HE型というトレーラーモデルなんかも、物語のライバル車に使用された代表として、熱を込めて語ってきました。 そんな中でも今回もまた「トラック野郎」はライバル車に焦点を当てて紹介していくのですがズバリ!! これもまたまた日野自動車からの車種に当たります。 というか、今回紹介する車種としても一番星号の三菱ふそうFシリーズと並んで、定番中の定番である不可欠なモデルなのです。 その車種は70年代においては商業的にも大型4大メーカーの中では恐らくトップのシェアを誇っていたと思しきところで、海外でも多くの国において人気を総ナメにしてきた模様でもあります。 よって「トラック野郎」のライバルの傑作車両としてベース車に最も相応しかったイメージは決して否定できないところでした。 もともと日野と言えば「トラック野郎」発表当時の1975年以前にかくいう商業的な成功を収めており、正しく「信頼の日野」として高く支持され続けてきました。 以上のような社会的信頼の下で世に送り出された車種が「トラック野郎」においていかなるライバル車としての役割を果たしてきたか。 ここに焦点を当てつつ、熱く語っていくとします。 「トラック野郎」車種に日野の大型がモデルとなったこれらの名車 「トラック野郎」の車種にももはや日野の大型モデルは必然の存在で、まずはこの車種そのものから紹介に入っていくとします。 というのは同じ「トラック野郎」のライバルを語るに当たっても、今回ばかりは特に車種そのものから入っていった方が、むしろよく分かりやすいであろうからです。 日野の大型車種がいわゆる「赤いエンジンシリーズ」でブランドを確立したのが70年代初頭からで、後に「トラック野郎」のライバル車に使用されることになりました。 ついてはこの世代における大型車種は型番のみが呼称となっており、主な呼び名としてはTC・KF及びZMてなところが代表的で、併せてマイナーチェンジの視点から大きく2つのモデルに分類するとします。 まずはマイナーチェンジ前のモデルの1台目としては第1弾「御意見無用」におけるライバルは関門のドラゴンで、車種的にはKF中期型とされています。 形状は平ボディのカーゴで、飾りのイメージとしてはよくよくデコトラ専門誌や「昭和の名車」みたいなジャンルでの増刊号に登場する、古き良きデコトラ発展途上期のようなギラギラした粋な感覚です。 そして同じくKF中期型が使用された、2台目に紹介するライバル車両は第4弾「天下御免」に出演したコリーダ丸。 「トラック野郎」の作中でもダークホースな異彩を放ち、荷台の箱には宇和島の闘牛をダイナミックに描いて「血沸き肉躍る」ラテンの熱き血が騒ぐイメージで、一番星のトラック野郎仲間達に恐れられた一種の「伝説的なライバル」でした(下記の画像)。 ついでマイナーチェンジ後のモデル・KF後期型が使用された3台目のライバル車両として紹介するのが、第5弾「度胸一番星」に出演したジョーズ軍団のリーダーは新村譲治が乗ったタンクローリー。 マイチェン前と比べさらにフロントマスクが凄味を帯びた迫力で、キャストにも元祖アクションの千葉ちゃんを迎えたことで「トラック野郎」そのものがアクション超大作へと進化した一大転機でした。 まとめるならこれらは「トラック野郎」出演車種の中でも日野大型70年代前期/後期と呼ぶのが分かり易そうです。 「トラック野郎」車種日野大型70年代モデルが競合車種とこう異なる 「トラック野郎」出演車種でも、実は今回紹介した日野大型70年代の前期/後期モデルはKF・TC・ZMが、同世代の競合他社(三菱ふそう・日産UD・いすゞ)モデルにはない魅力があることに気付きました。 まず70年代の大型車種は基本的に以下のニックネームがおごられていました(上記の競合3社)。 ①三菱ふそう・Fシリーズ⇒般若顔 ②日産UD・Cシリーズ⇒ダルマ ③いすゞ・ニューパワー中期型⇒ゴリラ顔 なおこれらの車種名(Fシリーズ等々)については一般的な俗称を提示してあります。 したがってこれといった具体的なニックネームがなかったのは日野大型車種のみで、例えばあの世代の車種を判別するにもわざわざKF後期にZM前期、みたいにすぐにピンと来るものではなかったかも知れません。 しかし日野大型車種にも当時メーカー特有の強みがあったのは説明不要ですし名称抜きで魅力を語るとすれば、何より外観そのものの印象が決定的でした。 他社と比較しても上記のFシリーズは般若顔にせよ、UDのダルマにせよ、70年代の車種においてはなぜか丸みを帯びたむしろ穏健なルックスが定着してました。 確かに日野の車種としても丸みを帯びてはいたものの、当時の大型には見られなかった精悍なグリルの顔つきが強い売りだったように感じ取れます。 特に上記のジョーズ軍団のタンクローリーに使用された、モデルチェンジ後のKF後期型辺りになってからは、まさに名の如く海の猛獣的なイメージであったり、もしくは猛禽類のようなハードボイルドなイメージであったと称するのが相応しいところです。 なるほど、だからこそ今回紹介してきた日野の大型車種が「トラック野郎」のライバル車に最も相応しいモデルだったということが、よく分かりました。 「トラック野郎」には勿論これらの車種がライバルに限らず、一番星のトラック野郎仲間達の傑作車両のモデルとしても多々使用されてきました。 歴史的最高傑作「トラック野郎」は下記よりご視聴いただけます👇 ... Read More | Share it now!
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