カテゴリー:「邦画」一覧
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・・・[続きを読む]今回は松原智恵子氏という、昭和を代表すべく我が国屈指の女優が演じた、本ブログにおける代表作でもあるかの歴史的最高傑作について、改めてお話しさせていただきます。 元々この松原智恵子氏といえば、1960年に日活が行った「ミス16歳コンテスト」に入賞、以来1960年代を代表すべく国民的女優として、吉永小百合・和泉雅子と合わせて「日活三人娘」との異名を馳せた時期もあります。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]今回は浜田麻里氏という孤高のアーテイストについて、語らせていただくことにします。 それも冒頭からズバリ!! 言ってしまいますが、浜田麻里氏の「return to ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎・爆走一番星」が時代に投げかけた、一条の光 引き続き、またまた「トラック野郎」についての話題を展開していくところではありますが、今回としては第2弾に当たる「爆走一番星」(1975年12月公開)についての話題です。 という事で、まずはこの「爆走一番星」をこの時期に私なりに選んだ動機についてお話しします。 これも少し前の「トラック野郎」関連の話題における主旨と絡めて語っていきたいところでもあるのです。 何よりもこの「トラック野郎」が公開された1975年当時の時代背景たるもの、お世辞にも好景気とは言えないどころか、戦後初のマイナス成長を記録して、まさに我が国の行く先にも大きな陰りが見え始めた時期でした。 そんな過酷な環境において、言い換えれば時間も予算もぎりぎりの状態で世に送り出されたのが、「トラック野郎」第一段シリーズの御意見無用でした。 にもかかわらず、いざ蓋を開けてみると、この作品自体興行収入で8億円を記録し、続く第2弾「爆走一番星」もまた、配給収入だけで7億7000万円の、1976年における邦画配給収入7位、という結果でした!! それも元はといえば、この第2弾としての「爆走一番星」自体が、少なくとも「トラック野郎」公開前には計画されていなかったというくらいですから、東映にとっても、文太兄いや欽也氏(以下キンキンさん)達にとっても言うまでもなく、大出世作となり得たのです!! 確かに桃次郎役の文太兄いにせよ、ジョナサン役のキンキンさん達に代表される出演者たちは、前作よりも一回り二回りと大きく変貌を遂げたような、そんな姿が伝わって来ます。 これこそがまさに、英雄達によってこの世に一条の光が投じられた一大場面として、一見冷め切ったような社会情勢を次々と覆していくべく、一世一代の爆走の旅が展開されていったのです。 よってこの第2弾「爆走一番星」を皮切りに、以来丸4年間に至るまで、「トラック野郎」シリーズが全10作にも渡り継続されていく結果となり、 70年代は「トラック野郎」抜きには語れない までの時代となり得たのです!! 「トラック野郎・爆走一番星」にて、本格的なコミカル路線が実現化 まずこの「爆走一番星」に関しては、過去の投稿においてはライバル役であったボルサリーノ(田中邦衛氏)と、その生い立ちにまつわるジョナサンとの因縁の関係を取り上げたりと、むしろ重苦しい、黒歴史的な話題も含めたネタが中心でした。 がしかし、あくまでもこの「トラック野郎」における醍醐味そのものとしてはまた、いわゆ今日のお笑いにおいても十二分に引けを取らないまでの、喜劇的な資質も見逃せません。 今回のメインテーマとは少し話題がそれるようですが、今一度「爆走一番星」のクライマックスへと行きつくまでに、この喜劇的な場面もまた、振り返っていきたいものです。 という事で、私なりに選び抜いた「トラック野郎・爆走一番星」におけるお笑いの場面としては、大きく分けて以下の2通りです。 その一は、何とオープニングしょっぱなから、新潟の山中にて社会見学に来ていたとみられる観光バスの一行が、桃次郎とジョナサンにからかわれる場面です。 それもこの女教師を演じていたのは研ナオコ氏という事もあり、より一層くすぐったい喜劇の場面でもあったなという感じです。 以来、この手の「トラック野郎」オープニングにおいても、桃次郎とジョナサンによる例えば第5弾「度胸一番星」にて秋竹城氏演じる婦警を弄ぶ場面などの、喜劇的な場面も展開されるようになっていったのです。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]「トラック野郎」のカムチャッカ丸にて梅宮さんの高潔を極めた役柄 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]愛川欽也氏も「トラック野郎」出演当時、40代真っ盛りだった またここで、「トラック野郎」についての話題に移ります。 今回はやもめのジョナサン役として出演した愛川欽也氏について、少し前の菅原文太兄いの話題とも関連付けながら、お話ししていこうと思います。 実はこの当時の愛川欽也氏の実年齢としても、まさしく文太兄いと同じ40代の真っ盛りでして、70年代当時において民衆を先導すべく、現役世代の代表格でした。 愛川欽也氏自身としては、1934年生まれでして、文太兄いよりも1歳年下でした。 という事は、この愛川欽也氏が「トラック野郎」を演じた1975年から1979年にかけては、41歳から45歳を迎えた年代であった、という計算になります。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]千葉真一氏の、従来のアクションイメージを劇変させた、決定的転換作 今回もまたまた、アクション俳優としてのキャリア自体が還暦を記録し、そして御年80才を迎えた千葉真一氏についての話題を展開していきます。 というのも、今回お話しするその最高傑作たるものは、千葉真一氏典型としてのキイハンターや、その他諸々の「激突!殺人拳」(1974年公開)や「直撃!地獄拳」(同1974年公開)等に代表されるべく、 いわゆるコテコテの空手や少林寺拳法みたいなアクションとは、一際差別化を図ったような、当時としてはむしろ斬新な挑戦作 であった、「戦国自衛隊」(1979年公開)についてです。 最も、この70年代後半期における、千葉真一氏のアクションとしても、すでにそれ以前のイメージとは転換を図るべく、殺陣を代表としたアクションが見どころの時代劇も、世に送り出され始めた時期でもありました。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]菅原文太兄いが「トラック野郎」主演時、40代の真っ盛りだった 今回はまたまた、本ブログにおける最高位のカリスマ的資産としての「トラック野郎」についての話題を展開していきます。 今回の視点としては、再び星桃次郎役の菅原文太兄いという、主演の立場からになります。 実は「トラック野郎」放映時の1970年代半ばから後半にかけてを振り返ってみますと、いかにも現時点での私の共感までをも惹きつけて止まないような事実に気づいたのです!! というのも、この「トラック野郎」主演時における、菅原文太兄いの年齢についてですが、それこそが現在の私たちの年齢とぴったり重なるものであったというのです。 まず先に、私自身は1975年生まれです。 一方の菅原文太兄い自身としては、1933年生まれでして、トラック野郎シリーズ第一弾「御意見無用」公開が1975年、そして最終の第10弾シリーズ「故郷特急便」公開が1979年として計算すれば、分かりやすいと思います。 菅原文太兄いが42歳から46歳にかけての期間だった、という答えになりませんか? 「一体お前は、何が言いたいのだ!?」「あっそう、だからその年齢がどうかしたの?」とでも言いたくなるかも知れません。 がしかし、ここで今回の投稿においてなぜ、菅原文太兄いの年齢を話題に出したか、という事を、難しく考えずにご理解いただければと思います。 ひとまとめにするなら、 菅原文太兄いがこの「トラック野郎」にて星桃次郎を演じたあの時と同じく、現在40代である私たちとしてあるべき姿とは何であり、どの様に振舞うべきか という風な課題を解きつつ、現役世代の中心的な立場としてわきまえた上で、我々としてもまた、どこかで誰かのために、何らかのお手本を示さねば、との志が欠かせない、というところであります。 以上のような姿勢に基づき、 まさしく1970年代当時、民衆に誇るべく40代真っ盛りの現役世代の大黒柱的存在として時代を牽引し続けてきた 菅原文太兄いの「トラック野郎」を通じた生き様を、熱く身を焦がすようにして復習しつつ、現在40代真っ盛りの現役世代中心層がすべく生き方を見出していこうと思います。 菅原文太兄いが、「トラック野郎」で時代に光を呼び寄せたあの頃 現在のご時世から振り返ってみて、菅原文太兄いが愛川欽也氏と共に「トラック野郎」シリーズの主演を務めていた70年代のあの頃、我が国はどのような社会情勢だったでしょうか。 ... Read More | Share it now!
・・・[続きを読む]菅原文太兄ぃ没後数周年後の私にとっての「トラック野郎」 本サイトにおいては、うんざりするまで「トラック野郎」について語っているこのカリスマ継承漢ですが、2019年における「トラック野郎」完結40周年を語った次いでに、またまた直近の重要な節目というものを思い出しました。 まさにこの「トラック野郎」の主人公を務め、大衆にとっての英雄の座に君臨し続けてきた、菅原文太兄ぃが2014年11月28日に御年81歳で永眠してから、早くも数年もの月日が無情に流れてしまいました。 という事で、今回は菅原文太兄ぃが主に代表作である「トラック野郎」を通じて、その生き様から本当に我々に伝えたかった真実とは何か、という課題を、少しでも解いていければと思います。 まず始めに、今からちょうど5年前と言えば、菅原文太兄いの前には、高倉健氏や「トラック野郎」の監督を務めた鈴木則文氏という盟友達の訃報が相次ぎました。 更にその菅原文太兄いの訃報から約半年後には、相棒のジョナサン役を務めた愛川欽也氏が病死という風に、次々と一世一代の名を馳せてきた英雄たちが、まるで天国へと導かれるような型で、それぞれの誇り高き生涯を全うしたのです!! そんな今日この頃として、「トラック野郎」を振り返るたびに、そして何より菅原文太兄いの生前を見直すたびに、私がふと感じたことがあります。 ... Read More | Share it now!
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